MaruMine’s blog

発達障害者の愚痴やプログラミング、ゲーム開発なんかについて書きます。

誰にでもできる事

 MaruMineです。 自分は誰にでもできる事をできない、してない事でよく叱られてます。 例えば寝癖を治すとか、忘れ物を減らすとか、少しの工夫でできる事を忘れる事が多いです。 なので今年の目標として「誰でもできる事を心がける」というのを考えてみました。

 しかし、誰にでもできる事をするのに意味はあるのかと考えると マイナスがゼロになるだけでそれが何かを直接作り出すわけではないんですよね。 ここで発達障害が出てくるのですが、発達障害当事者は独特な感性を持ちクリエイティブな分野で 活躍する事が多いと言われてます。これを真に受けるならば誰にでもできる事にリソースを割くよりも その人にしかできない事に全力を注いだ方がその人の為になるのではないかと思うのです。

 世間では発達障害者には特別な才能があると言いつつも実際就労移行支援に行くと。 誰にでもできる事をできるようになって普通の人と同じ様にできるようになりましょうって方針のところが多いです。 自分が行ったところもそうでしが、その割に僕には才能があると優秀だと評価は高かったです。しかし、評価が高いのに あくまで普通の枠に収めようとするだけの様にも感じました。

 就労移行に行ってたときに自分が積極的に取り組めたのは「表現活動」という与えられたテーマで自由にプレゼンをする 活動と「新聞作成」という就労支援の事業所に掲示する新聞を作るグループ活動、そして「レク活動」というボードゲームで遊ぶ活動です。 この3つは自分の個性を活かせるしどういう結果になっても納得できたので楽しく取り組める活動でした。

 逆に、あまり好きでなかった取り組みは、ソーシャルスキルレーニングでした。先生は悪い人ではないのですが 内容が社会的に正しい振る舞いをしましょうという話で、社会的な振る舞いができてない自分にはピッタリだと思われる方が 多いと思いますが、授業を受けていても目からウロコとなるような発見は無く、「そうだったのか」と思う事よりも「そうだよね」と 授業の内容に頷く事の方が多い、つまり理解はできているんですよね。先生からとある状況でどうすれば良いのか聞かれると普通に考えて答えられる。 だから、施設では社会性に問題は無いと判断されてたんですよね。実際の職場ではめちゃくちゃで社会人としてあり得ないとまで言わてます。

 自分で言うのもなんですが、僕は「普通」という枠組みの中に収まる人間ではないんですよ。 はみ出るからなのか、スカスカではまらないからなのかはわかりませんが、普通に正しくさせようとすると 却って悪いところばかりが目立っていいところが全く出ない。それを視た周囲はもっと徹底的に正さねばと考え より厳しく正そうとしてきて更に悪いところが目立つ。そして周りはこう思ってる 「こいつは良いところが全く無いから悪いところだけでも改善して『普通』にしてあげないと駄目な人間になってしまう」と それで無意味に何度もわかりきった事を指導される事になる、貴重な時間を使って そしてそれを正しい事だと信じて疑わない。

 自分が今の環境に身を置いてもそういう不毛な事に時間を割く事になるのでさっさと辞めてしまった方が身のためではある。 しかし、失業手当がもらえないので今は我慢、我慢したくなけりゃ次の仕事を見つけてからにしたほうが良いかもしれない。

 この国では「多様性」と言う聞こえの良い言葉が一人歩きしてますが、実際は決まったやり方で 窮屈な生き方しか認められてないってケースが多く、そこから逸脱するには「才能」が無いと許されないですね。 そして才能とは実際の有無なんてやってみなけりゃわからない、そもそも才能なんて無くても良いのかもしれない。 あったとしても周囲がそれを「才能」と認めずに縛って来ようともします。もちろん、実際に才能がなく周囲の言う事が正しい場合もあります。 ただ、人間には他人を正しく導く義務なんて無い筈です。なので僕が好きな道を進んでも他人がそれを止める必要も無い。 失敗すればまた別の方法を探せば良い、道はたくさんあるといろんなところで言うけどなぜか困難。一度失敗スレば二度と社会に戻さない 働かせないという強烈な圧を勝手に感じてます。

 とまぁ誰にでもできる事をするのは大事だけど、そこを中心に力を注ぐのは違うし 自分にしかできない事、やりたい事があればそれを頑張る方が僕は良いと思いますね。